りれこのワンダーランド

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長かったコンタクト人生

<長かったコンタクト人生>


私は、強度近視です。
視力でいえば、0.03とか、そんなもの。
赤ちゃんのときからです。

裸眼視力がそれくらいの方はいっぱいいらっしゃると思いますが、
私の場合は、矯正視力が出ず、
コンタクトは、マイナス13度・・・みたいなかんじ・・・
使い捨てコンタクトは度数がなくて使えず・・・
ハードコンタクトレンズでも、
店に在庫があったことはなく、
いつも特注品を注文してきました。

5歳くらいから、メガネをかけていましたが、
初めてメガネをかけたとき、それまで応接間に飾ってあった
オランダの風景のタペストリーをみて、
ずっと道を黒い服を着た人が歩いている・・・
と思っていた絵柄が、
運河を渡る帆掛け舟だと解ったときの驚きは、
今でも覚えています。

幼稚園まではあまりありませんでしたが、
小学校に入ってからは、メガネのせいでいじめられることもしばしば。
まだ、私の頃には、メガネをかけている子供って他に一人くらいしか
いなかったんですよね。

ある程度大きくなって、コンタクトに汎用品が出てから、
眼科では、ずっと
「めがねでは視力は出ません。
 出すようなめがねを作ったら、
 頭くらくらしちゃって、生活できませんよ」
といわれていました。

で、中1のときから、
コンタクト生活。
メニコンの歴史とともに、私もコンタクト人生を歩んできた・・・
というかんじです。

今でこそ、コンタクトの装用時間は、とても長くなりましたが、
最初のうちは、8時間とか・・・そんなかんじ。
で、補助のために、中3くらいで、めがねを作ったのですが、
メタルフレームはあきらめてください!!
といわれ、セルフレームのものを作ったのですが、

これをかけて人前に出るなら、
裸眼で、何かに激突したほうが、マシ?
っていうくらい、
ひどい顔になってしまい、
とてもめがねはかけられない・・・という状態でした。

で、お年頃だったことも手伝って、
それから、ずっとずっと長い長いコンタクト人生。

最初はハードが入らず、
ソフトレンズから入門したのですが、
最初の頃のソフトは本当に手入れが大変・・・
煮沸だ、なんだ・・・と
いいかげんな中学生の私には、手に余るもので、
いろいろトラブルがありました。

で、目も異物になれたところで、
O2レンズに昇格!?
しばらくそのレンズを使っていましたが、

メニコンの新製品が出るたびに、
次々とレンズを更新してきました。

で、EXが出たところまで、
コンタクトは更新されていきましたが、

阪神大震災が起こり・・・

その頃には、めがねなんて、まったく使っていなかったので、

水が使えなければ万事休すのコンタクト人生を
考えなければいけないと思いました。

ディスポーザブルや連続装用タイプを
使えないということは、避難生活などを余儀なくされたとき、
困ると思いました。
もし水道を使えたとしても、
ケア用品を持って逃げることができないかもしれません。

コンタクトが入れられないということは、イコール
視力を奪われる・・・ということになります。

慣れたところならともかく、裸眼で未知の場所には、
絶対にいくことができません。

災害で、コンタクトが使えなくなったら・・・・・・

その頃は、まだ子供もいない時期でしたが、
「目」を確保するには、めがねが絶対必要だ!
と痛感しました。

ちょうど、何か、無理をして、
目の調子が悪く・・・
コンタクトが入れられない・・・ということも重なり、

かかった眼科で、めがねを作ってもらうことにしました。

けど、先生からは、
「どうにか生活ができるくらいの視力しか出せませんよ」
といわれ、せっかく、選んだかっこいいフレームも、
いざ、かけてみたら、分厚いレンズのおかげで、
見るも無残なひどい顔・・・

生活できる・・・という視力も、
こんな分厚いのに、何も見えず・・・
食卓の向こうのだんなの顔さえ、はっきり見えない始末・・・

高いお金出して買っためがねは、
まったく使い物にならない代物だったのです。

そんなときに、友達から紹介していただいたのが、
天才的めがね職人・・・

東京眼光学研究所の先生です。


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